上北沢・桜上水の郷土史に興味がある人には非常に大きな価値のある以下の本があります。
- 「上北沢・桜上水 わたしたちの郷土」
- 昭和52年7月
- 発行人 鈴木喜左ヱ門
- 編さん 上北沢 桜上水 郷土史編さん会
この本の存在そのものはちょっと前から知っていましたが、これまで見たことはありませんでした。
その理由は以下の通りです。
- やはり興味は下高井戸であって、北沢地区はちょっと違う
- 玉川上水も下高井戸を通っていて、北沢地区を通っていない
- 手近で便利な場所では所蔵していない
ちなみに、どこに行けば見られるか……ということは既に調べてあって、うちの近くでは上北沢の図書館にあることが分かっていました。
そして、散歩中にこの図書館の前や近くを通りかかったことは何回もあります。
それにも関わらず中に入って現物を見なかった理由はただ1つです。
それは、いつも「閉館時間を過ぎていて入れなかったから」です。
しかし、今日になって、あえて仕事を早めに切り上げて(どうせ後でまた仕事するけどね!)、少し早めの時間に行って現物を見てみました。
全てを精読するのは無理なので、飛ばし飛ばし、ざっと見ました。たぶん、これから何回も見ることになると思うので。
概要の感想 §
比較的狭い地域の歴史書としては、驚くほどよくできていると思いました。
特に、縄文時代からの通史として構成されていて、手が抜かれがちな中世などの時代の記述も豊富であるのは好ましい特徴だと思いました。
文章がこなれていない部分があるのはプロの仕事ではないからやむを得ないところでしょう。
京王線桜上水車庫 §
茅の林だった土地を車庫に売り込んだとか。そのあたりの話は興味深いです。しかし、それはまた別の機会に取り組みたいと思います。
玉川上水は北沢地区の技術で開削された!? §
最大の衝撃はこの話題。
北沢川の水量が足りないので、井の頭の水を北沢川に引いたという話です。もちろん、そのような水路は、玉川上水と交差してしまいます。玉川上水とは共存できません。しかし、そのような水路を開削した技術力を持って玉川上水の高井戸付近の開削に協力し、それによって玉川上水からの分水(北沢分水)を得たという主張は、なかなかに頭がクラクラするほど新鮮です。玉川上水の開削は高井戸付近で一度止まっていますが(永泉寺関連の話題)、北沢地区の協力が尽きたところで止まったのではないか、というアイデアもクラクラ来ます。それが正しいかどうかは全く分かりませんが、全く想定外の可能性を突きつけられたのでクラクラしてしまったわけです。
つまりですね。これまで、玉川上水は下高井戸だけを通っていて、北沢地区を全く通ってはいないという理由で、関連性を一切考えることも無かったわけです。しかし、玉川上水は神田川と北沢川が作り出す低地に挟まれた稜線上にあると考えれば、神田川サイドだけでなく、北沢川サイドからのアプローチも考えてしかるべきだったわけです。特に水流量が豊富な神田川サイドよりも、水量の乏しい北沢川サイドからのアプローチの方が強い……という考えは筋が通っているように見えます。
そのことに、今更ながらに気付かされました。
感想 §
これまで、玉川上水下高井戸分水だけに絞って興味を向けていましたが、もしかして北沢分水にも注意を向けないとダメなのでしょうか……。